KEKニュース 2000年2月より

高エネルギーから低エネルギーへ

電磁カスケードモンテカルロコードEGS4の改良と普及


平山英夫、波戸芳仁


    

EGS4PICT による水素泡箱中の光子、電子、陽電子の飛跡。


放射線科学センターでは、アメリカのSLAC(Stanford Lineasr Accelerator Center)、 ミシガン大、カナダのNRC(NRCC:National Research Council of Canada)と共同で、 電磁カスケードモンテカルロコードEGS(Electron Gamma Shower) の改良にとりくんできている。EGSコードの概 要、高エネルギー加速器研究機構(KEK)での改良の取り組み、EGS4研究会や新しい バージョンであるEGS5に向けての取り組みについて紹介する。


【レントゲン撮影と放射線のふるまい】

 エックス線による胸部のレントゲン撮影は、ほとんどの方が経験している事である。な ぜ、エックス線は体の内部の状況を私たちに知らせる事ができるのであろうか。図1は、 300keVのエックス線が空気、人体軟組織、アルミニウム及び鉄に各々10個入射した時の それぞれの物質中での様子を示したものである。同じエックス線が、物質によって全く異 なるふるまいをしていることが良くわかる。このふるまいの違いによってエックス線は外 部から見えない体の内部を私たちに知らせる事ができるのである。

    

図1厚さ10cmの空気、人体軟組織、アルミ、鉄中での300keVX線のふるまい。 


 レントゲン撮影を初めとして医学分野では、エックス線やガンマ線(以下総称して光子 という)や電子、陽子等様々な放射線が使用されている。1999年10月のKEKニュース で紹介された「放射光単色X線を用いた冠動脈診断」もその一つである。物質中での放 射線のふるまいは、放射線の種類やそのエネルギーによっても異なることから、放射線の 使用においては、使用する放射線の物質中でのふるまいを知ることが重要となる。
 物質中はもちろんのこと、空気中でも光子等の放射線を私たちは見ることはできない。 電子等電気を帯びている放射線は、特別な測定器を用いればその通った跡(飛跡)を見るこ とができるが、エックス線やガンマ線の飛跡はいかなる検出器を用いても見ることはでき ない。この見ることができない事が放射線に対する不安の一因にもなっている。ところが、 計算機を用いるとエックス線等見えない放射線の秘跡を見る事が可能となる。
 放射線の物質中でのふるまいは、全て確率的な現象である。(どこで、どの様な反応を 起こすか等)この事を利用して、計算機で0-1の乱数を発生させる事により、放射線の動 きを計算機上で再現し、物質中での放射線のふるまいを調べる事ができる。このような手 法はモンテカルロ法と呼ばれており、放射線を扱う様々な分野で使用されている有力な手 法の一つである。

【EGSコードと改良の研究】

 私たちが改良・普及に取り組んでいるEGSは、物質中での光子及び電子のふるまいを 計算するモンテカルロ計算コードである。図1に示した粒子の秘跡は、EGSを使用して 作成したものである。
 EGS(Electron Gamma Shower、エグスあるいはイ−ジ−エスと呼ばれている)は、SLAC (Stanford Linear Accelerator Center)とスタンフォード大の共同で高エネルギー領域で使用 する事を目的に開発されてきた計算コードである。バージョン3のEGS3が、そのマニュ アル[1]と共に公開されて以降、広い分野で使用される汎用の計算コードとなった。高エ ネルギー分野では、電子・陽電子衝突型加速器のカロリメーター等検出器設計で広く使用 される中でEGS3は最も標準的な計算コードとなったが、同時に医学物理分野等低エネル ギー分野での利用が急速に広まり、より低エネルギー領域への拡張が望まれるようになっ た。この傾向は、SLAC、KEKとカナダNRC(NRCC: National Research Council of Canada) の共同でバージョン4のEGS4[2]が1986年に公開された後一層拡大し、EGS4は医学物 理分野で最も多く使用されるモンテカルロ計算コードとなった。世界中で6000人を越え るユーザーの6割以上が医学物理分野の研究者である。
  EGS4が公表されて以降も主として低エネルギーでの扱いに関する研究が継続されて いる。低エネルギー電子の扱いの改良は、主としてミシガン大とNRCCで、低エネルギ ー光子の扱いの改良はKEKで取り組んできている。
 KEKでは、放射光のBL-14Cでの実験と比較しながら低エネルギー領域で重要である にもかかわらずこれまで扱っていなかった「光子の偏光効果[3]」、「光子の散乱相手であ る電子の束縛効果やドップラー広がり[4]」や「L X-線の組み込み[5]」等の改良に取り組 んできた。図2と3に、40keV光子の90度散乱をGe検出器で測定した結果とEGS4の計 算結果との比較を示す。KEKでの改良前のEGS4による計算結果は実測値と大きく異な っていたが、改良によって非常に良い一致が得られるようになった事がよく判る。

図2 改良前のEGS4の計算と実測の比較。入射光子は単色化放射光(40keV)
   鉛から90度方向への散乱光子を水平及び垂直方向でゲルマニウム検出器 により測定 


図3 改良後のEGS4の計算と実測の比較。測定値は図2と同じ。


【飛跡表示システムと教育現場での活用】

 この様なコードの改良だけでなくEGSを放射線に対する理解を深める手段とする事も 併せて取り組んできた。表紙や図1の例のように、PC上で物質中での放射線の秘跡を表 示させるシステムを作成し、配布している。[6,7] このシステムは、物質中での放射線の 秘跡をPCの画面上に表示させ、部分的な拡大や回転等の操作を行う事ができる。PCの 速度の向上に伴い、ふるまいの計算をさせてその秘跡を表示させることも可能になってき た。この様な放射線の可視化は、放射線に対する理解を深める上で非常に有益である。放 射線科学センターでは、一般公開時に放射線に対する理解を深めてもらうためにこのシス テムを使用している。放射線が様々な物質によって減少する状況を、放射線源と放射線検 出器を用いて経験してもらい、その後でこの表示システムを用いて物質内での放射線のふ るまいを説明している。
 粒子のふるまいの可視化は、放射線に対する学生の教育にも活用されている。放射線の ふるまいは、イメージがわかないため学生にとって分かりにくい分野の一つである。PC による表示システムは、学生が興味を持って接するという事も相まって放射線に対する理 解を深める面で非常に効果的である。都立保健大学でこのシステムを使った授業を受けた 学生から「動いている陽電子が消滅する際には、2つの消滅γ線が180度よりも狭い角度 で放出する事を知り、PET(Positron Emission Tomography)の誤差の要因になることが判っ た」[8]といったレポートが出された例に見られるように、放射線を可視化したシステム は、放射線の実際のふるまいに対する理解を深める事に役だっている。

【EGS4研究会】

 EGSの様な汎用の計算コードの使い方を理解する事は、近くにそのコードの事を良く 知った人がいないと一般的には難しい事である。放射線科学センターでは、1991年から 毎年「EGS4研究会」を主催し、EGS4を使用した研究成果を交流すると共に、その機会 を利用してEGS4の講習会を開催している。講習会には、若い人を中心に毎年50人以上 の人が参加している。ほとんどの学会や研究会が専門分野別に行われているのと対照的に 「EGS4」研究会は、EGS4という手段をキーワードとした専門分野を問わない研究会とい う特徴をもっている。そのため、ほとんど話を聞く機会のない他の研究分野の研究の状況 を聞く事ができる。意外な分野で自分が行っているのと似た研究が行われている事を知っ たり、他分野での研究から自分の研究のヒントを得る事もあり、特に若い研究者には貴重 な場となっている。研究会で発表された内容は、世界中のEGS4ユーザーにとっても有益 な情報を多く含んでいることから、研究会の報告集には海外からも多くの送付依頼が寄せ られている。
 来年度の研究会は、8月に第2回の国際会議として開催される事が決まっている。次に 紹介するEGS5の進行状況も報告される予定なので、多くの方が参加される事が望まれる。 (詳細は、KEKのEGSホームページを参照)

【EGS5に向けて】

 KEKでの改良を含め、EGS4公開後なされた改良を集大成し新たなバージョンEGS5と して公開するための作業がSLAC、ミシガン大とKEKの共同で1999年の9月から開始さ れた。このプロジェクトは、アメリカのエネルギー省の技術移転プロジェクトとして取り 組まれており、EGS5を完成させること(従来通り、研究者には無料で提供)と、ユーザ ーに使いやすい環境を提供するグラフィカル・ユーザー・インターフェイスの作成(有料) という2つのテーマが設定されている。KEKでは、EGS5に向けてこれまでの改良してき た低エネルギー光子に関連した部分を整備する作業に取り組んでいる。
参考文献
  1. R. L. Ford and W. R. Nelson, "The EGS Code System: Computer Programs for the Monte Carlo Simulation of Electromagnetic Cascade Shower (Version 3)", SLAC-210(June 1978).
  2. W. R. Nelson, H. Hirayama and D. W. O. Rogers, "The EGS4 Code System", SLAC-265, (December 1985).
  3. Y. Namito, S. Ban and H. Hirayama, Nucl. Instrum. Methods A332, 227 (1993).
  4. Y. Namito, S. Ban, H. Hirayama, N. Nariyama, H. Nakashima, Y. Nakane, Y. Sakamoto, N. Sasamoto, Y. Asano, and S. Tanaka, Phys. Rev. A51, 3036(1995).
  5. H. Hirayama, Y. Namito and S. Ban, "Implementation of an L-Shell Photoelectron and an L X-ray for Elements into the EGS4 Code", KEK Internal 96-10 (August 1996).
  6. H. Hirayama, Y. Namito, S. Ban, R. Ikeda and Y. Tokuda, "EGS4 Shower Display System, EGS4PICT(2), Windows Version", KEK Internal 94-10 (August 1994).
  7. H. Hirayama, Y. Namito, S. Ban, R. Ikeda and Y. Tokuda, "EGS4 Shower Display System (EGS4PICT), Windows Version 2.0", KEK Internal 96-9 (August 1996).
  8. M. Fukushi, Y. Namito, H.Saitoh and K.Fukuda, "The Information Education using EGS4 Monte Carlo code of Tokyo Metropolitan University of Health Sciences", Proceedings of Eighth EGS4 Users' Meeting in Japan, KEK Proceedings 99-15,7

放射線科学センターホームページに戻る